QOOTES's Blog

日々のこと、旅の話などなんとなく書いています。気ままに書き連ねるので長文になります。活字が苦手な方にはオススメしません。

僕は反社。

予定を調子よくこなし、途中でいつものふるさとの味も大体いただいた。

 

週末には妹の車で墓参りに。豊田章男さんの自宅があるらしい町の近くの墓地に着くと、そろそろ夏の予感もし始める中、我が家の墓地にも結構な雑草が生えていたのでお参りのまえに雑草を抜いて綺麗に掃除。そのあと花やお供え物をして、滞りなく墓参終了。

 

子供の頃から見慣れた名古屋市の墓地だが大昔に市内のお寺に合った墓のほとんどをそこに集めて作ったらしい。よくもまあこんなにお墓を集めたものだと思う(笑)。

 

菩提寺のお墓の区画には上の方に地回りの反社の大き目のお墓があって墓誌の石板には歴代の幹部の名前らしきものが彫ってあった、その名前は僕の成長に伴って一つまた一つと増えた。おそらく檀家さんにいらっしゃるのだろうが、やはりお盆の行事など檀家さんが一堂に会するときでも見かけたことはない。

 

反社でも亡くなれば平等に弔われるべきだと思ってきた。

 

ただ、今回ちょっとした異変が。墓石の名前が普通の苗字になっていたことに加え、墓誌の石板の名前の数々が無くなって個人たちを弔うような標語のような単語が彫られていた。

 

やはり亡くなった方とは言えど、反社とわかるような名前などが見えるようにしておくのははばかられたのか、めんどくさい人がいて苦情を入れたのか、そんなところなんだろうと思う。

 

詳しいところは定かではないが、子供の頃に聞いていた話ではその反社のお墓にはQOOTES家の誰かも眠っているらしいということだった。祖父の兄弟か、祖父の両親の兄弟かそんな時代の人に今でいう反社のような男が一人いたらしい。

 

僕が生まれた家には古いドスが一丁あって、祖父母の両親も「あのドスは血を吸っているから・・・」と言って押し入れの奥の方に何かにくるんで大仰にしまっていた。僕もちょっと見たことがある。それの持ち主が多分その反社の墓に眠っているご先祖様の一人なんだと思う。誰かを刺したか殺したりしたのだろう。もちろん捕まりはしなかったようだ。

 

そういう人生を送ってきたからか、晩年は失明して座頭市のような生活をしていたらしい。と言っても別に人斬りを生業にしていたわけではない(笑)。父はその座頭市のような親類のおじさんがたまにうちに来ていたと言っていた。反社の皆さんと同じで、子供には優しかったようだ。子供の頃に僕たちも三軒隣の反社の事務所のおじさんたちによく遊んでもらった。

 

ただ、神戸や広島で何かあったときには、数日間はオジサンたちの目つきがやたら険しくなって子供心に近づけなかった。別に親に注意されたわけではない、子供でもそういう種類の危険くらいは察知できる。あの頃の子供一般にそういう機微が備わっていたのか、そういう町に生まれ育った僕たちだけに当てはまる話なのかは分からない。

 

でも今どきの子供には自分で判断する知恵はないだろうと思う。

 

前にも書いたが、僕が中学生のときにバブル名物の地上げ屋がやってきて生家を追われたときに、母が縁起の悪いものを全部処分しようと言ってそのドスもお寺かどこかで「生抜き(しょうぬき)」をしてもらって処分したのだと思う。気が付いたらもうなかった。

 

そんな話を墓の前で妹としていて、ふと「じゃ、俺らって反社ってこと?」「そうだね、そういうことになるよねー(笑)。」という会話をした。

 

QOOTES家の墓はもう新しくなっているが、古い墓石はところどころ欠けていた。それにももう一つ話があって、その反社のご先祖様と同じ頃にもう一人博打打ちのご先祖様もいた。めっぽう強くて有名な「その筋の小さな有名人」だったらしい(笑)。それで、彼が亡くなった後も、若いやくざものの博打打ちが夜な夜なやってきて博打のお守り代わりに墓石の一部を割って持って帰った、それで墓石のそこここが欠けていたということだった。

 

そのDNAは僕には受け継がれなかったらしい(笑)。

 

QOOTES家、僕の祖父の家系は代々「ちんとんしゃん」な家だったので、そんな人が多いんですよね。(「ちんとんしゃん」の意味するところに興味があれば検索してくださいね。)

 

ま、どの家にもそんな話山ほどあると思うけど(笑)。